信じるものしか救われない

 それからぼくは、サラリーマンにもマネージャーにも革命家にもフーリガンにもネオナチにもアナーキストにも右翼にもならないことにした。ロックンローラーにもハイソサエティにもジャンキーにも、HIVにさえならないことにした。
 なににもならなくても、生きる資格が失われるわけじゃない。
 トモは戦争へ行った。
 兵隊になった。彼には教育があまりにも足りなさすぎた。
 教育が足りない連中は、子供の頃こそ、親や兄弟を養うために真面目に働くが、親に見捨てられると労働意欲を瞬く間に消失させる。彼らの親たちがそうだったように、連中はカネやクスリやセックスや暴力や殺人を欲しがる人間になり、それらを探しに街中を彷徨きまわる。トモもそんなひとりだった。
「ついに戦争が始まった。おれは大陸に行く」
 トモたちは、大陸で戦争が始まると、盛んに戦争に行きたがっていた。トモの仲間内の数人の有志は、既にこの狭い島国から抜け出し、大陸へ渡っていた。
 暴力や殺人を欲しがっていた彼らにとって戦争は天職なのだ。少なくとも、彼らはそう信じていた。
「戦争に行って運が良ければ、なにもかも手に入れられる。カネもオンナも仕事も。この国でいい仕事をしたいと思っても、学科試験がある。おれは字も書けない。だから、おれは戦争へ行く。戦争は実技一本、活躍したら偉くなれる。失敗したとしても、死ぬだけで借金もできない。これほど合理的な出世方法は他にはないぜ」
 ぼくはトモに心底同情した。
 いったいだれが、トモや既に戦争に行っている連中に吹き込んだのだろう。大陸で劣勢に立っているあの国か?
 軍隊が、超エリート主義で絶対服従の階級制だということを吹き込まれる前に教えておくべきだった。
 トモはあの国を信じすぎている。帰化して兵隊になる手筈もできているそうだ。きっと、コンピューターゲームの雑魚キャラのように、軽くあっけなく扱われるだろう。もし、あの国が戦争に勝ってトモが生き残れたとしても、帰化した人間が差別されるのは目に見えてる。
 ぼくがいくら言っても聞かなかったトモは、二十日の夜に蛇頭が用意した舟に乗って大陸に向かった。トモは遣唐使小野妹子よろしく、さっそうと海へ消えた。
 あの国の密船が撃沈された話は聞かない。トモはいまごろ、上官の靴磨きでもしているのだろう。


 貧民街にはなにもない。建物の壁という壁は、小便や血や人糞でこの街独特の異臭を発生させていた。商店やわずかの住宅の窓は、硝子なら新品に交換するたびに割られ、強化プラスティックの窓は真っ白になるまで傷つけられる。建物だけではない。ここではありとあらゆるものが簡単に破壊される。公共財の一部である警官だって、配属されて三日以内に消える。そしてまた新しい警官が配属され、それから三日後には別の警官がこの街の餌食になる。そんな子供じみたいたちごっこがいろいろなもので繰り返されている。子供じみた、とは言っても、そんないたちごっこを楽しんでいるのは大人ばかりだ。子供は義務教育のおかげで、給食のために学校へ通っている。
 貧民街に学校はない。かつては体制側が貧民街に小・中・高の公立高を創ろうとした。だが、小学校の建物が完成した翌日に、その学校はなくなっていた。貧民街の連中は、体制側の人間が自分の子供を貧民街の子供と同じ学校に通わせたくないと考えて、貧民街に学校を創ったのだと思っていた。だから、貧民街の小学校はカジット爆弾一発であっけなく幻となった。
 貧民街の子供達は、いま一般人と同じ学校に通っている。
 一般人の子供は、貧民街の子供にいじめられていた。しかし、なにがあっても教師達は貧民街の子供達の味方をしていた。教師らに言わせると貧民街の子供達は、かわいそうな、差別を受ける対象の子供達なのだ。だから、守ってあげないといけないらしい。
 学校は一般人の転校が相次いだ。私立へ進む一般人も増えた。公立でも貧民街が校区に入っている学校は、だんだんと貧民街の子供達の比率が高くなった。そして、貧民街への差別は、一般人の子供の心の中に根強く残った。
 いくら差別をされているからって、悪いことをしても許されるなんておかしいよ。こんなことならば、ぼくも貧民街に生まれたかった。
 体制側の子供は、貧民街の子供にカツアゲされたあとに泣き叫んだ。
 大陸の戦争はまだ続いている。


 戦争の映像は毎日、テレビを通じて見ることができる。軍事評論家が、ひさびさの地上戦に浮かれているのか、サッカーの戦術を説明するようにフリップを使って二国の作戦を説明している。戦闘機もミサイルも役に立たない地上戦は、兵士が主役だ。彼らが動くか動かないかで、戦況は大きく変わる。
 テレビで見る限り、兵士の顔は生き生きしている。死を臆している気配などどこにもない。夢をかなえた子供のよう。彼らにとって戦争は夢かもしれない。
 ぼくは、兵士の顔にトモを探した。戦争に行くと言ったトモの眼も、この兵士のように輝いていた。
 彼らにとって戦争は、本当に適任の仕事なのかもしれない。
 仕事は生きていく上での社会の役割だ。仕事がなければ、人間は社会から置いていかれる。トモにとって戦争へ行くことは、はじめて役をもらえた役者並に嬉しいことだろう。そうならば、命と背中合わせのなかで、文字通り死ぬ気になって頑張って欲しい。


 トモは怖かった。自分が属する隊が今日はじめて、敵にむけて攻撃するのだ。重い銃を背負い、軍服に身をまとったトモは誰がどこから見ても、祖国の兵士だった。隣国の亡命者には見えなかった。だがトモは戦闘直前、人という字を掌に三回書くという、生まれた国の古いまじないをやった。
 切り込みは思ったよりも簡単だった。まるで演習のようだった。演習のほうが初体験だったので、演習のほうが恐ろしかった。
 トモは敵兵を殺すことはできなかったが、敵隊の基地を占拠するためには大きく役立った。そのため、トモの隊の小隊長は中隊長にほめられたほどだった。
 戦争はあっけないほど簡単だった。


 あれからぼくは、貧民街の人間と付き合わないことにした。彼らは金銭的に貧しいだけではなく、心があまりにも貧しすぎた。
 トモは無縁仏として始末されたそうだ。彼の戦友は、親切にもトモの亡骸をほとんど完璧な姿で基地に持ち帰ってくれたが、誰も身寄りにならなかった。貧民街の実のトモの家族にまで連絡がきたが、トモの家族はトモを自分の家族とは認知しなかった。よその国の兵隊は、血はつながっていても自分の家族ではないらしい。
 ぼくはぼんやり、外を眺めていた。貧民街へ、死体を運ぶ隣の国の国旗がついたトラックが走っている。貧民街の人間は何人戦争で死んだのだろう。大陸から渡ってくる死体にマラリアが付着しているとの噂が流れている。
 ぼくは貧民街に生まれずに済んだことを、神に感謝した。

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